コラム
(エンジェル・プレスに関係ある人たちのコラムページです)
夢を見よう。夢を話そう
幸村みよ


 私の処女作『夢みる望遠鏡』の主人公は、リク、ミウ、ソーラ、ツバサ、アイという男女五人の子供たち。友人を助ける理由から、突然、野之花島への旅に出かけることになった子供たちは、そこで待っていた女性、マーヤの導きにより、本当の望みを見つけるという貴重な体験をします。幸せになるための知恵を学んだ子供たちの、二十年後の姿も描いた『夢みる望遠鏡』は、年代を超えて楽しめるスピリチュアル・ファンタジーです。
 勘のいい人は、すぐにお気づきになると思いますが、子供たちの名前は、すべて自然界からもらってつけています。陸、海、空、翼、愛です。ちなみに、マーヤは山です。物語を考えるとき、私は宇宙、あるいは全体を意識します。一作品でひとつのサイクルを完成させるつもりで、構成づくりに取り組みます。読み終えたとき、新たな世界が広がる、そんな作品に仕上げたいからです。それは創り手としてのこだわりであり、最初の読み手である自分自身の希望です。それで、登場人物の名前にその思いをこめてみたわけです。
 名前がカタカナなのはなぜ? ときどきそんな質問を受けますが、それは漢字を使うことにより、視覚的に限定されたイメージをもたせたくなかったことが大きな理由です。名前だけでなく、場所や時代もあまり限定できないように書いたつもりです。読者の想像にまかせる部分を多く作りたかったのです。
 また、登場人物の名前と夢は、深く関連しているのですが、本を読まれたみなさんは、気づいていたでしょうか……? それとも、ああ、なるほどと、今思いましたか? ここにもちょっとした、人生のからくりを含ませました。私たちの名前には、今生の目的(バースヴィジョン)に関するヒントが隠されているといわれていますが、子供たちの名前と夢を結びつけたのは、それを象徴させたかったからです。夢が見つからない、何をしたいかわからないという人は、自分の名前から探ってみると、すてきな夢や使命がひらめくかもしれません。どうぞ、やってみてください。
『夢みる望遠鏡』は、物語を楽しんでいるうちに、さりげなく人生の知恵が伝わる読み物にしようと思って書きはじめました。しかし、いざ書き出すと、最初に考えていたより、もっと深い内容になり、それには書いている本人も驚きました。「死」や「光の世界」を扱うのは、少し勇気が必要でしたが、そこを物語の重要ポイントにしたかったので、どうしても省くわけにはいきませんでした。いちばん気を配ったのも、じつはその箇所でした。執筆にとりかかると、高い次元とつながるようです。体験にないことでさえ、すらすら書けるのは、そういうことだと思います。創作というのは、スリリングでおもしろい作業です。

 ところで、『夢みる望遠鏡』が生まれたきっかけも、私にとってはドラマチックでした。2001年1月に交わされた、カナダに住む友人とのメールが、すべてのはじまりでした。彼女とはその数年前からつきあいがあったにもかかわらず、お互いの夢がとても似ていることを知ったのは、なんとそのときが初めてでした。彼女は子供たちのための絵(童画)を描きたくて、私は童話を書きたかったのです。といっても、そのころ、私は何かを書きたいとは思っていましたが、それが童話だと、はっきりと意識していませんでした。でも、彼女の言葉が引き金となって、私は童話が書きたかったんだと気づいたのです。それは、砂漠で宝石を発見したようなすばらしい瞬間でした。
 太平洋を間に挟み、メール上で大いに盛り上がりました。誰かと夢を語り合うことはワクワクして、細胞が活性化し、身体中にエネルギーが満ちあふれてきます。相手がまじめに思いを受けとめてくれたときのよろこび、なんともいえません。話すことで、夢との距離がぐっと近くなります。そんなとき、突然、スイッチが入ったのです。物語の方から、どんどんやってきて、それはもう、言葉にするのが追いつかないくらいでした。
 そんな状況の中、『夢みる望遠鏡』は構想の期間も入れて、約二カ月間で完成しました。そして、それから二年も経たないうちに、無名の新人が書いた童話が、本になって出版されたのですから、まさに夢のような話です。奇跡ですね。
 夢の種を蒔いたら育てる、つまり夢を人に話し、応援のエネルギーをもらうことは、夢の実現に大いに役立つと思います。夢をもっているなら、聞いてくれる人に、いっぱい話すといいですね。それに、きちんと行動が伴えば、必ず協力者があらわれます。もし、話したい人がいなかったら、神さまにに聞いてもらう手もあります。日記に書くなどして、毎日、休むことなく夢を育てていきましょう。
『夢みる望遠鏡』の中にも、子供たちが自分たちの夢を、みんなの前で生き生きと語るシーンが出てきます。そのあと、夢がかなっているかどうかを確かめることのできる「未来や過去が見える望遠鏡」を持った不思議な老人が、子供たちのいる場所にやってくるのですが、それも偶然ではありません。子供たちの夢に対する熱い思いが、その老人を呼んだのです。
 こうした奇跡的なことは、物語の中だけでなく、形はちがうけれど、私たちの日常にも起こりうることです。真剣に夢を語る人のところに、神さまは味方を送ってくれるのだと、私は信じています。
 夢を話しましょう。小さくても大きくても、笑われてもいいから、明るい声で話しましょう。その夢が本気なら、人々の愛という栄養をもらって、夢は育ち、いつかときが来たら、きっと美しい花を咲かせます。そして、同時に忘れてならないことは、人の夢も心から応援することですね。与えたものは、自分に返ってきますから。
 愛と平和のもとで、みんなの夢、地球の夢が、どんどん実現していきますように。

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